ロバに耳打ち
中島らも
講談社文庫
< 昨日、酒を一升飲んでしまった。ぶ厚いイカの一夜干しが入ったのだが、こいつがぐいぐいおれの手を引っ張る。十本の手で引っ張るのである。
「お酒がほしいよう。お酒がほしいよう」
イカがそう言っておれの左腕を引っ張るのだ。>
(P60 「一升酒を飲む」)
鬼才・中島らものショートエッセイ集
中島らも氏は1952年4月、兵庫・尼崎市生まれの作家・エッセイストです。広告代理店勤務・コピーライターと並行して文筆業をスタートして、80年代以降に作家活動に専念するようになりました。代表作に「今夜、すべてのバーで」(吉川英治文学新人賞)、長編「ガダラの豚」(日本推理作家協会賞)などがあります。ミュージシャン、劇団「リリパットアーミー」の主宰など多方面にマルチな才能を発揮する一方、薬物摂取やアルコール依存、それに伴う躁うつ病などでも話題に上る人物でした。04年、階段の転落事故による脳挫傷により、52歳で逝去。
「ロバに耳打ち」は05年、双葉社から文庫として初出刊行されたショートエッセイ集です。中島氏が幼少時代から作家のキャリアの入口に立つ頃までの思い出や経験をユーモラスに振り返ったものです。各話とも2~3ページで軽く楽しく読みこなせるので、ファンはもちろん、「中島らも初心者」には格好の一冊です。
エリート人生から脱落した挫折と、それ故に花開いた才能
中島の作品を読む上で、彼がエリート人生から脱落した挫折を味わっていることは押さえておくべき重要なポイントです。幼少時代は天才といっていいレベルの頭の良さだったようで、全国一、二を争う最難関校・灘中の入試では8番の成績で合格したそうです(中島がなにかのエッセイで明かしていた記憶があります)。
しかし、灘では中学、高校を通じて音楽活動などにハマり、完全にドロップアウトしました。この苦い経験は中島自身がエッセイでも語っており、小説や彼の生き方そのものにも、くっきりと陰影として表れています。
ただ、この挫折感や屈折が、中島のあまりにユニークな創作活動のエネルギーの源になっていたことは疑いようがありません。優しさとロマンチシズム、卓抜したユーモアセンス、B級志向、人生経験に裏打ちされた確かな人間観察眼、キレ者の片りんをうかがわせる合理的な思考…普通なら両立され得ないような様々な要素を融合させた面白さが、中島の作品の魅力だと思います。
例えば「ロバの耳打ち」のエッセイの中だと、中島がコピーライター養成講座に通っていた頃のこのエピソードに、聡明さを感じ取ることができます。
< そのうちにおれはあるテクニックを作り上げた。二時間も話を聞いていると、その先生の趣味嗜好というものが嫌でもわかってくる。ある先生はロマンチックでリリカルなものが好きだ。それなのに会社ではドタバタの面白CMを作るセクションにいて、フラストレーションが溜まっている。また逆にある先生はギャグが好きなのに、香水のCMを担当している。やはりフラストレーションが溜まっている。
だからおれはそれを見分けて、面白派にはギャグのCMを、リリカル派にはポエティックな作品を提出した。>
(P136-137 「コピー講座のこと」)
中島はこのやり方で、多くの受講生の中でもぶっちぎりの回数の表彰を受けたそうです。彼が実践したことはまさに「コピーライターの講師に対するマーケティング」で、しかも大きな成功を収めています。おそらく作家になっていなかったとしても、何らかの仕事に打ち込めば同じように大きな成功を収めていたのではないでしょうか。
中島はエッセイ内でこの経験を<おれの原点だった>と振り返っています。これはコピーライターから作家のキャリアを開いていくきっかけになったというだけでなく、「商業的にも売れる作品をつくらないとサバイバルできない。逆にいうと自分はそうした作品をつくる力があるようだ」と気づくきっかけになった…という意味ではないかと、私は推測しています。
「ギャグやB級志向があり、エンターテインメント作品として十分面白い」。そうした作品を数々世に送り出した中島の創作態度の原点が、ここにあると思います。
まだまだある中島らもの傑作
中島の作品には、まだまだ面白いものが多くあります。私が好きなのは小説なら「ガダラの豚」、エッセイなら「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」、朝日新聞の往年の名連載「明るい悩み相談室」あたりでしょうか。(余談ですが、「明るい悩み相談室」では「焼きじゃがいもみそ事件」という非常に考えさせられることの多い騒動がありました。いつか機会をあらためて紹介したいと思います)。「ロバの耳打ち」を面白いと思った「中島らも初心者」の方がいたら、ぜひほかの作品も手に取ってみてください。