オールド・テロリスト
村上龍
文春文庫
<「確か、映画館のテロとか、こちらのメディアでは、犯人はデスペレットな若者って、そう言ってたけど、彼らが接触してきたわけ?」
「それがちょっと違うんだ。ここ、重要だから、とにかくよく聞いて欲しいんだけど、あの若い連中は、デコイというか、身代わりなんだよ。本当の犯人は、何て言うか、老人たちなんだ」
「老人?」
「そうだ。みな、かなり歳で、社会的地位もある。それで、思想犯というか、全員が確信犯なんだ」
「ちょっと待って。テロリストが老人たちなの?」
「そうなんだ」
「オールド・テロリストってわけ?」
「そうだ。連中はネットワークもしっかりしていて、資金もある。やっかいな連中だよ」>(P550)
村上氏が緻密な構想力と文体で描いた「闘う老人たち」
読書が好きな方には、村上龍氏のことはあらためて説明するまでもないでしょう。日本の現代文学を代表する作家の一人で、1976年に「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞してデビューして以来、今日に至るまで数々の作品を世に送り出しています。「日本語を正確・的確な順列で並べて、小説の世界を構築する」ことにかけて、村上氏の右に出る者はいないでしょう。「オールド・テロリスト」は2011年から14年にかけて文芸春秋で連載された長編で、15年に単行本として刊行されました。今の日本を破壊して革命を起こそうとする闘う老人たちと、彼らが引き起こす事件に巻き込まれていく語り部・セキグチの物語です。
上司の口グセと戦中体験を持つ老人たちのパワー
この小説を読み終わったとき、私は自分の上司が飲みに行ったときなどによく口にするフレーズを思い出しました。それは、こういうフレーズです。「太平洋戦争を兵士として戦ったり、戦後を生き抜いてきた人たちって絶対強いと思うんだよ。“生きる力”みたいな、基本的な人間力っていうのかな。齢を重ねて体力とかは衰えるかもしれないけど、それでも、おれもおまえもだし、戦後以下の世代じゃ太刀打ちできない何かを持ってるはずだぜ」。手前みそですが、50代半ばのその上司も十分パワフルで、仕事でも申し分ない実績を残している人間です。そんな上司が実際に戦中体験を持つ方たちとの交流の中で、感じていることなのだそうです。「オールド・テロリスト」で今の日本と闘う老人たちを、私は上司の口グセとオーバーラップさせて、リアリティを持って受け止めました(彼らが巻き起こすテロは凄惨極まりないものであるにも関わらず)。
村上龍が老人たちのパワーを感じたのは、あの番組からかも…?
村上龍も自分の上司と同じように、戦中体験を持つ老人たちのパワーを実感する体験なり出来事があったのだろうか?これは私の類推ですが、村上龍は自身がメインパーソナリティを務めるテレビ番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京系、木曜午後10時から放送中)を通じて、多少なりともそうした実感を得ているのではないか…と考えます。同番組は日本を代表する企業の創業者を毎回のゲストに迎えて、話を聞きます。村上龍にとっても貴重な時間を割いてやってくる創業者から話を引き出す真剣勝負の場のようで、番組に対する準備の過程を「カンブリア宮殿 村上龍の質問術」(日経文芸文庫)でまとめているほどです。ゲストとなる大企業の創業者は、年齢的に「戦中体験を持つ老人たち」に近い方たちが多いです。村上龍がいつも番組で敬意を払い、好奇心を持って対峙するゲストたちに、「オールド・テロリスト」の老人たちと重なる部分があるぞ…と、私は感じました。(もちろん、番組に登場する創業者たちがテロをしでかしかねない雰囲気があるという意味ではありませんが…)
村上龍の「今の日本と戦う主人公たち」の作品の系譜
村上龍には、「主人公が今の日本に怒りと絶望を感じて、戦いに挑む」作品の系譜があります。ざっと並べてみます。
・「コインロッカー・ベイビーズ」(80年 / 主人公はキクとハシ=少年)
・「愛と幻想のファシズム」(87年 / 主人公は鈴原冬二=壮年)
・「希望の国のエクソダス」(00年 / 主人公はポンちゃんら=中学生)
→ただし、語り部の主人公にセキグチ=中年
・「オールド・テロリスト」(15年 / 主人公はミツイシら=老人)
→ただし、語り部の主人公に「希望の~」と同じセキグチ=初老
並べてみて一つ、わかることがあります。「今の日本と戦う主人公たち」の年齢が、執筆当時の村上龍の実年齢と近いところ(作品によっては10歳前後の開きはあるものの)に設定されているということです。「コイン~」は村上龍が28歳、「愛と~」は35歳、「希望の~」は48歳、「オールド~」は63歳で刊行されています。(「希望の~」と「オールド~」に関しては、セキグチの年齢に作者の年齢が寄せられていると言っていいでしょう)
これは何を意味するのか?
短絡かもしれませんが、村上龍自身が感じている「今の日本への苛立ち」が、自らの能力や情報を駆使して戦いを挑む主人公たちに託されているのではないでしょうか。
上記の作品の系譜には直接連ねませんでしたが、「五分後の世界」(94年)も忘れてはならないでしょう。今の日本の平行世界である超軍事国家・日本の魅力的な兵士たちは、「オールド・テロリスト」のミツイシら老人たちととてもよく似ています。
弱い人間のセキグチが示してくれる勇気と尊厳
最後に、「オールド・テロリスト」の語り部となる初老のフリーランス記者・セキグチに注目します。作品中でセキグチは、冒頭から徹底的に弱く、情けない人物として描かれます。妻子に逃げられ、経済的にも貧困スレスレにいて、凄惨なテロを目の当たりにして精神的にズタボロになり、ミツイシら老人たちのテログループに翻弄され続け、安定剤の服用が欠かせず、ヒロインのカツラギに男らしいアプローチもできず、お漏らしまでします。その弱さを痛切に感じるのは、「自分もセキグチの立場ならこんな感じになるだろうな…」と私が自身のことのように共感するからです。
だが、そんなセキグチが物語の一番最後で、フリーランスの記者としてある決意をします。記者の矜持を自覚したとか、誇りを取り戻したとかいう描写は一切ありません。それでもセキグチの見せる仕事へのシンプルで具体的な方針は、尊厳や勇気という生きていく上で絶対的に重要なものを、私に思い出させてくれました。闘う老人たちも、初老の弱さを抱えたままに立ち上がるセキグチも、村上龍が読者にいつも提示してくれる価値観の真骨頂です。