わたしを離さないで
カズオ・イシグロ/土屋政雄=訳
ハヤカワepi文庫
<ジュディは当時のありふれた歌手の一人で、歌もバーで歌うようなのが多く、ヘールシャムの生徒が好んで聞く種類の曲ではありませんでした。このテープが私にとって特別のものだったのは、先頭から三曲目に「わたしを離さないで」があったからです。>(P110)
日本と縁が深いノーベル賞作家の代表作の一つ
カズオ・イシグロ氏は父母が長崎出身の日系イギリス人作家です。英国では80年代から高名な作家でしたが、昨年10月にノーベル文学賞を受賞して日本でも一気に知名度が上がりました。「わたしを離さないで」(原題は”NEVER LET ME GO”)は05年に書かれたイシグロの代表作の一つです。
ノーベル賞作家によるSF小説?
私はこの作品を読んで「これは凄いSF小説だ」という感想を持ちました。
SF小説とは何か?人それぞれに考えや解釈があると思いますが、私はこう考えています。「現実に非常によく似せた世界に、非現実的な設定を持ち込む。登場人物たちがその設定にどう対応し、その“あったかもしれない世界”で生きていくのかをみられる小説」。“あったかもしれない世界”や登場人物たちへの想像力の膨らませ方と細部の描写が、作家の腕の見せ所です。読者が「自分がもしこの世界に生きていたら、登場人物たちのように行動したり感じたりするかも」と共感できたら、そのSF小説は素晴らしいものだということができるでしょう。私にとって「わたしを離さないで」は、まさにそういう作品でした。
主人公と友人たちは徹底的な意思疎通を図り続ける
「わたしを離さないで」では、女性の主人公のキャシーと、彼女の友人であるローラ、トミーを中心に物語が進んでいきます。3人はある目的のためにつくられた全寮制の学校での幼なじみです。“ある目的”はそこで学ぶすべての生徒の人生に決定的に関わっており、3人もその運命とともに成長し、大人になっていきます。
キャシー、ローラ、トミーの人間関係は幼少時代から思春期を経て、成熟した大人になるまで、そのありようを変化させ続けていきます。その変化にはやはり、“ある目的”に定められた運命が深く関与しています。小説の最大の読みどころの一つは、3人が自分たちの関係性を徹底的なコミュニケーションで確認しあい、規定し、意味づけ、絶え間なく更新していくところです。そこにはいわゆる「あうんの呼吸」「以心伝心」「言わずもがな」といったような曖昧さは存在しません(存在していたとしても、必ず当事者どうしのコミュニケーションで白日の下にさらされて、排除されていきます)。「この世界と運命を受け入れるためには、これほどまでに徹底的なコミュニケーションをしなくてはならないのかもしれない」。私は読み進めていくうちに、そんな共感を深めていきました。
登場人物たちは運命に抗うことをあきらめ、受容していく
キャシーたちは自らの定められた運命に立ち向かおうとしますが、ある出来事を経て、受容を選び取るようになります。イシグロはなぜ(控え目にいってもハッピーエンドとはいえない)その筋立てを選択したのでしょうか?
英国の(いまもなお強固といわれる)階級社会の気分を反映して?
イシグロがこの物語には必要な選択だと判断したから?
物語の固有の事情をこえて、イシグロの作家としての個性によって?
いろいろな可能性が考えられますが、イシグロの小説を初めて読んだ私には、いまは残念ながらアタリをつけられません。でも、これからイシグロの他のいくつもの作品を読んで、「わたしを離さないで」と比べてみることで、この疑問に近づく手がかりを得られるのではないか…と思っています。私にとっては「カズオ・イシグロの小説をまだまだ読める!」という新たな読書の楽しみが、「わたしを離さないで」から生まれました。