江國香織「号泣する準備はできていた」

号泣する準備はできていた

江國香織

新潮文庫

<外国を好んであちこち旅していたころ、よく墓地を散歩した。墓碑銘を読むのが好きだったのだ。自分の墓碑銘を想像したりした。

『ユキムラアヤノここに没す。強い女だったのに』というのだ。でもほんとうは、そのときにはすでに、号泣する準備はできていた。>

(「号泣する準備はできていた」 P204)

江國香織の直木賞受賞作「号泣する準備はできていた」

江國香織さんは1964年3月、東京生まれの小説家です。80年代半ばから児童文学で多数の作品を世に送り出し、92年の「きらきらひかる」から大人向けの創作を本格化させていきます。04年に発表した「号泣する準備はできていた」は12編からなる短編集。第130回直木賞を受賞し、代表作の一つとなりました。直木賞以外にも多数の文学賞を受賞しており、人気・実力ともに正に押しも押されぬ作家といえます。

江國の小説を男の読者が読むということ

私は江國の小説を好きでよく読みます。登場人物の女性たちは誰もが凛として自分の人生に責任を持っていて、とても魅力的です。ただ、「面白くて好き」という思いで読み進めば進むほど、一方で「自分には江國の小説の本質的な面白さは理解したり実感したりはできないのだろうな…」とも思っています。なぜそう思うのか?それは、自分が男だからです。

江國の小説の本質を直感的につかまえられるのは、やはり女性の読者ではないでしょうか。女性が我がことに引きつけて共感したり共鳴するような読書体験は、自分の読書からはたぶんこぼれ落ちているのだろうな…という思いを、いつも持ちます。もちろんそれは、江國の技量が足りないということではありません。「男性ではいつまでたっても測りきれないような何か」こそが、江國の小説の真の魅力なのだと、自分は解釈しています。男の自分としては諦めの思いよりも、そうした「女性にしかわかりえない」機微や世界の見え方に少しでも触れられることに、江國の小説を読む大きな喜びを感じています。

「号泣する準備はできていた」から学ぶ”教訓”

「分からないけど面白いよね」だけだと、読書としては少し寂しい。なので、私は男の読者なりに「号泣する準備はできていた」から”教訓”を得ようと努めました。女性とは何なのか、女と男の関係はどうあるべきなのか…というような教訓です。登場人物も状況設定も異なる12の短編をすべて読んで、私がエッセンスとして学んだ教訓を、簡単に付記しておきます。

 

・年齢を重ねた女は自由になる

→江國は自由を「それ以上失うものがなにもなくなるほど孤独になること」と表現しています。

・女の不倫は、当事者の女を幸せにはしない

→(恋愛感情や肉体関係の愉悦には抗えないのだが)という断りつきで

・男の浮気や不倫は、妻である女を深く傷つける。例外なく

ざっとこんなところでしょうか。とくに3番目。江國の小説を読むと、昔からいわれる「男の浮気は甲斐性のうち」という類の言い分は、男の側が自身の不貞を自己弁護するためにつくったウソだということが容赦なく暴かれます。

短編ピックアップー「住宅地」

12の短編はどれも面白いです。ここでは私が気に入った一つ「住宅地」を紹介しておきます。

「住宅地」には、運送会社で働く林常雄と彼の仕事仲間の和一、眼科医の妻である真理子の3人が登場します。初老のブルーカラーである2人の男と、セレブな暮らしを営む真理子。この男女が、それぞれ職場と自宅のある「都心の、閑静な住宅地」を舞台として、対比されながらストーリーは動いていきます。

私はこの短編から「夫婦仲の良いことは、人生の本当の幸せのひとつだ。お金持ちかそうでないかは、夫婦仲に比べれば大した問題ではない」という江國のメッセージを聞いたように感じます。物語の構成は、江國の小説技法のレベルの高さを端的に示すものです(特にラストのシークエンス)。結婚生活や夫婦関係を考えるテキストとして、ぜひ一度読まれてみてはいかがでしょうか。