ぼくらの七日間戦争
宗田 理
角川文庫 / 角川つばさ文庫
<「いいかみんな。ここはおれたちの解放区。子どもだけの世界だ。楽しくやろうぜ」
相原が言うと、全員が「おーう」と叫びながら、拳を突き上げた。
英治は、なんだかしらないけれど胸が熱くなった。>(角川文庫・P24)
ジュブナイル小説の金字塔「ぼくら」シリーズと宗田理
「ぼくらの七日間戦争」の角川文庫版の裏表紙、書籍紹介にはこう書いてあります。
<何世代にもわたって読み継がれてきた、不朽のエンターテインメントシリーズ最高傑作>
こう自負しても構わないほど、宗田理氏の「ぼくら」シリーズは広く読まれ、愛されているのではないでしょうか。
宗田理氏は1928年5月、東京出身。日大芸術学部時代に映画シナリオで頭角を現し、週刊誌の編集長やPR会社経営を経て人脈や経験を蓄えました。「ぼくらの七日間戦争」は1985年に角川文庫から発行。宗田氏が作家としての地位を確立する大ヒット小説となり、主人公の菊地英治、相原徹らが登場する「ぼくら」シリーズは約15年間にわたり29冊が刊行されました。シリーズ累計では約1500万部を数えるとされています。
ジュブナイル小説の堂々たる王道「ぼくらの七日間戦争」
私が「ぼくらの七日間戦争」を初めて読んだのは、小学校の3、4年ごろだったと思います。「少し年上のお兄さん、お姉さんたち」である登場人物たちの大活劇に、夢中になった記憶があります。「自分も中学生になったらこんな仲間ができて、こんなことができるようになるのかな!?」と胸を躍らせたものです。今回、書店の本棚で目にして、懐かしさのあまり買い求めて、20数年ぶりに読み返してみました。
いま読んでみると、あらためて同書が傑作であることが分かります。少年少女たちの成長、友情、恋愛、社会や大人の不正義に対する戦い、他者・弱者に優しさや思いやりを持つことの大切さ…。これらジュブナイル小説の必須テーマがすべて詰め込まれた物語が、圧倒的なテンポの良さで展開されていきます。この軽快なリズムは、宗田の映画のシナリオライターとしての素養が存分に生かされているところなのでしょう。
英治や相原らは中学1年の夏休み、大人たちを相手にした七日間戦争に勝てないまま終わります。物語の終盤で彼らが打ち上げる花火や秋の訪れの気配は、”夏休みの終わり”の感傷を呼び覚まします。だが、彼らの活躍はここで終わりませんでした。彼ら・彼女たちの活躍は読者(その多くは子どもの)圧倒的な支持を受けて、2学期以降(宗田の手により、結局は彼ら・彼女たちが大人になるまで15年間も!)も続いていくことになるのです。
「ぼくらの」七日間戦争は、「大人たちの七日間戦争」でもあった
30代になって本書を読み返してみて、私は「ぼくら」が仕掛けた七日間戦争は実は「大人たちの七日間戦争」でもあったことに気づきました。
大人たちとはだれか?それは、英治、相原ら中学生たちの親であり、英治、相原らと敵対することになった中学校の教諭らです。彼らは中学生たちに仕掛けられた七日間戦争と対峙することで、彼らが10数年前に当事者であった全共闘の記憶を生々しく、苦々しく呼び覚まさせられています。
「ぼくらの七日間戦争」は、全共闘の高揚と挫折を味わったかつての”ぼくら”=大人たちの物語でもあるのです。
本書を注意深く読み進めていくと、作者の宗田が登場人物である大人たちに「全共闘のその後」ともいえるロールモデルを周到に割り振っていることが見えてきます。例えば…
①英治の両親、菊地英介・詩乃は「一流会社のサラリーマンと、家庭を支える専業主婦」
②徹の両親、相原正志・園子は「ともに全共闘を戦い抜いて社会に出て、小規模な塾を経営する夫婦」
③久美子の両親、堀場千吉と睦子は「建設会社を経営して、バブルの恩恵を存分に享受する夫婦」
④純子の母の暁子は「町の中華屋を切り盛りする子だくさんのおかみさん」
⑤安永の父(物語には直接登場しない)は「家庭を省みない建設労働者」
全共闘世代の群像としてみると、①と③は人生の勝者、②は敗者、④と⑤は「非大卒、全共闘の非当事者」として描かれています。
さらに物語には、中学生たちの味方をするホームレスの老人・瀬川卓三が登場します。瀬川は太平洋戦争で敵兵を殺した経験を持ち、現在は家を追い出されて路上生活をする人物として描かれています。また、中学校の教諭たちは(ヒロインの西脇由布子を除き)一様に「体制・管理する側に回った者たち」として造形されています。
こうした大人たちが中学生たちの反乱にどういった反応を示し、どういった感情を喚起しているのか。キラキラと輝く子どもたちの大活劇の底には、全共闘をめぐる「今は大人になった若者たち」や、暗い戦争を潜ってきた「今は老人になった大人たち」の通奏低音が響いています。そういった意味で、本書は80年代の時代の空気を非常に濃く刻み込んでいるのではないでしょうか。
子どもだって「大人たちの七日間戦争」に気づいている
中学生たちはそうした自分の親や先生たちの心の陰影に気づいていないのでしょうか?私は、そんなことは決してないと思います。例えば本書の冒頭に出てくるこの部分を引用するだけで、それは明らかではないでしょうか。
<「おれたちの解放区をつくろうと思うんだけど、お前、参加しねえか」
「解放区?」
英治は、自分より五、六センチ上背のある相原を、ちょっと見上げるようにした。
「解放区ってのはだな……」
夕陽に向けた相原の顔が、燃えるように赤い。
「おれたちがまだ生まれる前、大学生たちが権力と闘うために、バリケードで築いた地域のことさ」>(P25)
宗田はおそらく、エンターテインメントのジュブナイル小説に「大人・全共闘・継承されていく戦い」というテーマをも内包させたかったのではないでしょうか。宗田の当時の年齢、出身大学(全共闘の震源地だった日大)、裏社会の人脈や事情にも通じることになった編集者・経営者時代のバックボーンも考えると、あながち的外れな推論でもないような気がします。
全共闘の理念は捨て去られ、全共闘を戦った大人たちは敗れ去ったままなのか。そうではない、先人たちの意思を継いで、社会の不正義にはいつの時代だって立ち向かうものが出てくるし、それはいつの時代でも若者であるべきなんだー。私は20数年ぶりに「ぼくらの七日間戦争」を読み返して、宗田のこうしたメッセージを聴き取ったような思いがしました。
何はともあれ「ぼくら」シリーズはこれからも不滅!
何はともあれ、「ぼくら」シリーズがこれからも子どもたちに読み継がれていくこは間違いないでしょう。ちょうど先週、角川つばさ文庫の編集部は「ぼくらの七日間戦争」のアニメ映画化を発表しました。この作品がアニメ映画になるのは初めてだそうです。英治や相原らの活躍はいつの時代も、少年少女(もちろん大人も)の心を躍らせ続けます。