ボッコちゃん
星新一
新潮文庫
<そのロボットは、うまくできていた。女のロボットだった。人工的なものだから、いくらでも美人につくれた。あらゆる美人の要素をとり入れたので、完全な美人ができあがった。もっとも、少しつんとしていた。だが、つんとしていることは、美人の条件なのだった。>
(P14 「ボッコちゃん」)
「ショートショートの神様」星新一
星新一氏は1926年9月生まれ、97年12月末に71歳で逝去した小説家・SF作家です。実家は戦前から戦中にかけて大企業として知られた星製薬。終戦間もない52年、星氏は社長として同社を第三者に譲渡した後、海外SF小説に出会って創作活動に邁進していくようになりました。星氏が生涯をかけて切り拓いたジャンルは、何といってもショートショート。平易で面白く、近未来的で寓話性にも富んだ膨大な作品群は昔も今も圧倒的な数のファンを獲得しており、星氏は「ショートショートの神様」という名声を不動のものにしています。
いつ読んでも文句なしに面白い「ボッコちゃん」
「ボッコちゃん」は星氏のショートショートの中では最初期に刊行された作品集。71年の初出で、世紀をまたいだ2018年現在も113刷を数える驚異的なロングセラーです。私自身、小学生の頃に初めて読んだ活字の本が「ボッコちゃん」と「未来いそっぷ」で思い出の一冊です。(読書との出会いのきっかけとして本書を買い与えてくれたのは父ですが、そのセンスには今でも感謝しています)
「ボッコちゃん」は数年ごとに書店で購入しては読み返すですが、いつ読んでもその読書の楽しみは変わりません。各作品のオチも大体覚えているにも関わらず…です。星のショートショートの面白さの一つは、SFに対する深い教養に裏打ちされて構築される世界観でしょう。日本文化を背景とするコンテクストは(少数の例外的な作品を除き)意図的かつ徹底的に排除されていて、「ボッコちゃん」の作品もどれも無国籍で未来的な世界に身を委ねられます。いま現実に暮らしている日常を離脱できる感覚を、星のショートショートは与えてくれます。表題にもなっている「ボッコちゃん」の舞台となるバーも、今でもどこかの街の夜のドアを開けばあるように思えてなりません。
時代を経ても新しい読み方や、普遍性を探せる楽しみがある
星のショートショートがSFの性質を帯びる以上、「時代が作品に追いつき、追い越していく」宿命からは逃れられません。だがそれは決してマイナスではなく、読者しだいでプラスの楽しみに変えられるのではないでしょうか。
例えば…
「ボッコちゃん」を読んで、私は数年前に比べてもAIが加速度的に進化しているテクノロジー状況を引きつけて、思いを巡らしました。「AIがもっと発達すれば、ボッコちゃんよりもうまくおしゃべりができるロボットもできるだろうな」「でもうまくおしゃべりができると、逆にボッコちゃんみたいにお客さんはつかないんじゃないかな」とか。
また、どんなゴミを捨ててもあふれることのない穴が登場する「おーい でてこーい」では、以下の箇所に「おっ」と思いました。
<外務省や防衛庁から、不要になった機密書類箱を捨てにきた。監督についてきた役人たちは、ゴルフのことを話しあっていた。作業員たちは、指示に従って書類を投げこみながら、パチンコの話をしていた。>(P24 「おーい でてこーい」)
この役人たちは、作品が書かれた40数年前の役人たちなのか?2018年の今だって、国会答弁やワイドショーで……
星は晩年、自身のショートショートの”寿命”を少しでも伸ばそうと、膨大な作品群に手直しを加えていたそうです。(おそらく筆者が最も憂えたのかもしれないように)星のショートショートは、これから時代が進むごとに古びて、色あせていってしまうのでしょうか?
私は違うと思います。星のショートショートを自分たちが生きる時代に引きつけて読んで、自分なりの発見や考察を加えていくー。そうした一人一人の読者の発見や考察こそが星のショートショートの新しい輝きや魅力になっていくはずだし、星の作品はどれもそんあ「読み直し」に耐えうる楽しさや普遍性に満ちています。